2025年4月8日 (火) 2:42
親孝行とは?
児童養護施設の職員の労働環境は、過酷だ。 週休1日制で、16時間拘束の当直が6日もあるのに、年収は350万前後。 これは、あくまで私が世話になった児童養護施設の話だが、 国から支払われる報酬を考えると、 このような労働が常態化していると考えられる。 しかし、施設の職員は、ブラックな労働環境ながらも、真面目に働いていた。 子どもにとって職員は、親同然の存在だ。 とても大変な仕事だが、彼女たちは、 限られた予算の中で、私たちを喜ばせようと、必死になって考えてくれた。 そんな職員を見て、働くことに希望を持つことができた。 仕事は大変だが、誰かのためを思って働くことで、喜んでくれる人がいる。 私は、職員のことを、スーパーウーマンだと信じていたので、 職員のいうことは聞いていた。 しかし、一つだけ、腑に落ちない言葉があった。 「女の子なんだから、家事ができなければ結婚できない」という言葉だ。 中学生の頃は、女子寮の中でも、トップクラスで、家事が苦手だった。 私は、主婦として生きる人生よりも、 バリバリに稼いで、結婚なんてしなくても、 自活できるような生き方に憧れていた。 なんなら、主夫志望の男性と結婚したいくらいだ。 女も稼げば、家事ができなくても、家事代行さんを雇うか、主夫志望の男性も結婚すれば生きていける。 そして、その仮説は、私が大人になったことで証明された。 家事が苦手でも、家事代行さんを雇えるほど稼げば、何も困らない。 しかし、大人になって、分かったこともある。 職員の言葉は、私の幸せを考えたがゆえの言葉だったのではないか。 児童養護施設の職員は、20代後半から30代前半の女性が多く、 結婚したいとぼやく職員が多かった。 いまだに「女の幸せは結婚」だと考える人は多い。 職員も、そんな価値観に支配された女性のうちの一人だったのだろう。 女性の幸せは、結婚だと信じているから、 私を結婚適合者にさせるための教育をした。 自分の幸福論を、他人に押し付けるのは、どうかと思うが、 それも職員なりの愛情だったのだろう。 しかし、私だって、意志のある人間だ。 周りが「結婚=女の幸せ」と言っても、 私には、私の信じる幸せがある。 いくらスーパーウーマンの言葉とはいえ、そこだけは譲れない。 …普段は、ちゃらんぽらんなのに、 こういうところだけは、頑固なんだよな。 施設にいた頃は、職員と子どもの関係だったが、 施設退所後は、友達のような関係になっている。 あれから私は、家事代行さんに家事を教わることで、家事ができるようになり、 稼ぎも、職員の平均年収を超えてしまった。 それだけでは飽き足らず、今以上に、人の役に立ちたいと思って、勉学に勤しんでいる。 職員は「私よりも立派な大人になったね」と泣きながら笑っていた。 教育に関わる仕事は、時間が経過しなければ、成果が分からない。 ましてや、児童養護施設の子どもたちは、 生育環境で、何かしらの問題を抱えていて、 いただきりりちゃんと紙一重のような人生を生きている子も少なくはない。 施設に入所する子どものうち、 過半数は何かしらの虐待を受けた経験があり、 3割程度が、知的or発達障害だと言われている。 一般家庭の子ども以上に、育てにくいのだ。 そこをカバーするのが、職員の専門性なのだが、 施設の職員が、頑張って教育をしたとしても、 まっとうな人間になれる確率は、一般家庭の子どもよりも低い。 しかし、私が、立派な大人になったことで、 彼女たちの教育が間違っていなかったことを証明することができた。 それが、私にできる最高の親孝行だと思ってる。 「家事ができない女は結婚できない」と言っていた職員は、家事が苦手だったらしい。 家事ができないことによって、 自分の考える幸福を実現できないから、 私には、幸せになって欲しいと思ったんだろうな。 私が、立派になれたのは、職員たちの教育のおかげだ。 職員は、私の方が立派だと言っていたが、 私が職員になっても、ちゃらんぽらんな子どもを量産するだけだろう笑 私に、他人の子どもは、育てられない。 職員たちが、愛情を持って接してくれたことで、 人のために働きたいと思えるようになり、 結果的に、私は、私が思う幸せを手に入れることができた。 立派な親に出会えた私は、幸せ者だ。